2005年7月30日(土)、栃木県にあるツインリンク茂木にて行われた12時間耐久レース。 昨年は都合がつかず参加出来なかったのですが、2年ぶりの12時間耐久レースに参戦してきました。 ハラハラ・ドキドキ・ワクワクの12時間を出来るだけ楽しくお伝えしようと思います。 それでは、楽しみながらご覧下さい。

2003年の12時間耐久レポートでも書きましたが、レース活動はショップとしてではなく、クラブ(個人)の活動として参戦しています。 「サンデーレーサーって呼ばれたらカッコいいよね。」の一言から始まったレース活動ですが、2004年は各自予算が無く参戦を断念。 2005年は、ミニディ90分耐久、そして今回の12時間耐久と今年2度目のレース参戦となりました。 今年は総勢8名のドライバーで走り抜く事となります。 それでは、レース前の模様から紹介しましょう。



レース前日の金曜日は、通常通り仕事をこなしPM11:00にミニ屋に集合。 各ドライバー、ピットクルーを含め13人という12時間を戦うには少数精鋭チームが勢ぞろい。 レーシングカー、予備パーツ、テント等の荷物を積み込み、各車輌に分かれて一路ツインリンクを目指します。 日付が変り30日(土)AM2:00頃ツインリンクに到着。 ゲートオープンまで時間があるので寝ようと思うのですが、思ったより暑く、また興奮しているのか寝付けません。 上の写真はAM3:30頃。 あまりの暑さに私が外に出ると、何名かが続いて外へ。 「ここで寝た方が良くない?」なんてバカ話しをしている時。 しかし、今回がレース初参戦となる野口は車内でグッスリ。 図太いのか、ニブイのか、フラッシュ焚いても微動だにしませんでした。



AM5:30ゲートオープン予定でしたが、ゲート前に並ぶ車輌が予想より多く、少し時間を早めてのゲートオープンとなりました。 まずは、ここから戦いが始まります。 今回は参加総台数125台!という台数の為に、1ピット当たり8〜9チームの割り当てとなっています。 車輌の搬入はもちろん、自分達のくつろぎ?スペースとなるテントを設置する場所を確保しないといけません。 猛ダッシュで場所取り、荷物、レーシングカーの搬入と慌しくこなし、車検に備えます。



こちらは、車検中の1コマ。 赤いTシャツを着ているのが検査官です。 車輌そのものには問題も無く、無事車検にパス。 ところが、ここで問題が発生! 耐久レースでは、途中でガソリンの給油が発生するのですが、その給油作業についてのルールが変更となっていた。 2003年では、耐火スーツ(レーシングスーツ)にヘルメットでOKだったのですが、今年はヘルメットではダメで、耐火のマスクをしなければならないとの事。 給油時に最低3個のマスクが必要になるのですが、私たちは2つしかない。 「他のチームから借りるか、売店が開いたら買ってきて下さい。」との指示。 マスクがないとスタンド給油(サーキット内のガソリンスタンドで給油)となってしまう為にロスタイムが大きい。 給油までの時間でマスクを何とかしなければ・・・。



さて、その頃ピットレーンではヤグラ及びモニターを設置中。 毎周ごとにサインボードを出すピットエリアは日差しを遮る物が無く、非常に暑くツライ。 レースを走るドライバーよりもピットクルーの方が過酷であると言えるでしょう。 2003年は暑い日差しの中、とてもツライ思いをしたのですが、今年は一味違います。 それが写真のヤグラ。 日差しを遮り、モニターや資料が置け、尚且つイスが収納出来ると言う優れものと作成者(右の写真)である本人談。 「こいつはイイぜ」と張り切って設置をしたら、微妙に屋根が小さく日陰が出来ず、モニターを置く台は高すぎるのでイスにモニターを置き使用する事となりました。 優れものかどうかは別として、仕事の忙しい中作成して、出発の日の夜、仕事が終わった後に届けてくれた星野君、ありがとう。 とっても?役に立ちました。 今年は仕事が忙しく、ピットクルーとして参加して貰えませんでしたが、次回はよろしく!



その後、ドライバーが集まってのドライバーズミーティング。 125台×各チームのドライバーがいる訳で、それはそれは大所帯。 1000人は間違いなくいたでしょう。 和やか?にミーティングも終了し、そろそろ気分も盛り上がってきます。



時計はAM7:00を回り、スタートまで約1時間。 いよいよ車輌をコース上に運び入れます。 この12時間耐久は、ミニを初め3つのクラスで編成されており、ミニ以外にも国産車やポルシェ、BMWなど色々な車種が混走で優勝を争います。 ミニは総台数52台。 スターティンググリッドは抽選によって決定するのですが、抽選は毎回良いポジションを引き当てる芹澤(以下、ドライバー・ピットクルーは敬称略)が引く事となっています。 4月のミニディでは塚越が引き、35台中33番手というポジションでしたので、「今回は良いポジションを・・」と期待。



指定されたグリッドに着いたフラジル号ですが、あれ?後ろを見るとミニは少ししかいません。 まずミニ52台が走るはずなのですが・・。 今年のスタートは52台中45番手から。 抽選を行った芹澤も「俺のクジ運も終わった・・。 来年は誰かに任せる」とガックリ。 でも、誰も恨んではいませんよ。 自分が引いてもっと悪い可能性もある訳ですから。 ここから頑張って追い上げましょう。 何しろ12時間もあるのですから。



ここから、レース展開に合わせてドライバーも順次紹介していきます。 まず、トップバッターは2003年と同じく上島から。 余裕の笑顔なのか、緊張の裏返しなのか・・。 今年は奥さんの応援が無いだけに少し寂しそうでもあります。 ローリングスタートは、もう余裕ですよね? この後、ドライバーの上島を残し、ピットまで引き上げ。 間もなくスタート!!



これだけの台数がグリッドに着くと精悍。 1コーナーから最終コーナーまでズラッとコースを埋め尽くすマシンたち。 この中のたった1台だけが優勝という栄光を手にする事となります。 まずは1周ペースカーの先導で走り、グリーンフラッグでスタートとなります。 AM8:00、ローリングスタートも1発で決まり、長い長い12時間の戦いが始まりました。 あれ? 右の写真はスタートの時なのですが、よく見るとフラジル号が写ってません。 デジカメってシャッターがワンテンポ遅れるので、慣れないと大変なんですよね、大川さん?



スタート後の混戦(後ろからバンバン早い車が来るので、結構コワイ)の中、3分15秒前後で周回していた上島。 5周目に3分3秒とタイムを上げたと思うと次には3分33秒。 これだけの混戦だと抜くのも抜かれるのも大変。 すると7周目に突如のピットイン。 いきなりトラブルか?と一同不安になるが、ブラックフラッグ(黒い旗とゼッケンが表示されると、その車輌はピットに戻らなければならない)が自分に出たのか、他人なのかがハッキリ解らず、あまりにも不安で確認のピットイン。 うちのチームではないことが判明し、安心して再びコースへ。 3分前後のタイムで上島は順調に走り、2分59秒というベストを出していきます。 次に乗る塩原は真剣?にモニターでチェック中・・と思ったら、実は寝ていた?



42分間/13ラップを走りきった上島がピットイン。 ここで第2ドライバーである塩原にバトンタッチ。 素早くドライバーチェンジを行い、塩原をコースに送り出します。



戻ってきた上島から、「2コーナーでGが左に掛かると白煙が出る。 更に途中回転がモタつく。」という状況説明が。 予算の関係で、2003年の12時間、その後、2回のサーキット走行ミニディの90分耐久と走っているエンジンですが、基本整備は行なっているもののオーバーホールは行なっていません。 果たして最後までもつのか? 無事完走出来るのか? 一抹の不安がよぎります。